姑と小姑と別居しました

かぞく
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ガランとして嬉しい。
義母と義理の妹がアパートを借りて引越しを済ませた我が家で

使い方がよくわからないマックブックエアーをいぢる私

今回は初めの同居ではなく、二度目の同居でした、

一度目は17年前。
家出をして行くあてのない私を義母と義理の妹は快く迎え入れてくれました。
家出して来ているとか、諸々は説明などは全くしていないけれど。

そして生活の基盤ができたので、夫と私はUR(古くは公団)を契約し円満に別居となったのが
同居を初めて2年目の春。
快く迎えて、暮らしていてもやはり同居がストレスが溜まるもの。
私は2年の間に体重が52キロから69キロと、17キロもおデブになっていたのでありました。

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別居からまだ同居へ

便利のいい場所にあったからか、URの家賃が古さやスペース的に高いと思い始めていた頃、同居していたマンションからアパートへ引越していた義母たちは、アパートの更新時期でした。

更新しようかと思うけれど、義理の妹の縁談があるのでもしかしたら一人になってしまうかも・・・

という話をきき、それでは2DKのURよりも広いマンションを探して同居しておくか。

という話になり。3LDKのマンションを見つけ再度一緒に暮らすことになりました。

LDは一緒に使うとして、一番暖かな場所にある和室は義母に。

そして、嫁に行くはずの義理の妹に洋室。

そして私たちは洋室1部屋。

不公平ですが、結婚するまでなので。

結婚したら、そちらの洋室も使えるかなぐらいに思っていたのですが・・・

それは甘かったのでありました。

あれ話が違う

三ヶ月、半年、一年がすぎても嫁の話はなく。

その後、いくつかの縁談話もあったのですが・・・

聞こえてくるのは、あれは嫌、これは嫌という話だけ。

その後も、同窓会でいい感じになった人がいたなんて話もありましたが、

それ移行は縁談とか、出会いとかの話も全くなくなってしまっていました。

縄張り争い

四十歳をすぎても嫁に行かない義理の妹は、親戚には

「母が心配で嫁にもいけない・・・」

なんて冗談半分?で言ったところ

親戚の人たちに。

「もうルルドさんがいるから、お前はあんしんして嫁に行け場いい。」

なんて言われてしまったそうなのですよ。

(ルルドさんとはもちろん言われてないけどね。)

まあ、その間クレジットカード詐欺。

(あなたのカードが不正に使用されているみたいなので

クレジットカードとパスワードを用意しておいてください)みたいなやつね。

後、注文しているジュースが飲みきれないのにどんどん来てしまうけれど、断れないとかそんな事をしたからかもしれないのですが。

私が意外に高評価みたい(笑)

その後からかな、なんとなく存在感アピールが強くなった気がします。

一番困っていたのは、仕事から帰って来てからはリビングのソファーで3時ぐらいまで寝て(電気とテレビはつけっぱなし。)

そして3時頃からお風呂に1時間から2時間くらい入り。

その間はシャワーを出したり止めたりの音がうるさく。

そして風呂の後はドアを開けてドライヤーをかける。という

風呂の隣の部屋で寝ている私たちはどうしても目が覚めてしまうのです。

朝まで彼女がリビングで寝たり、動いたり。

そして朝になると、入れ替わりで義母がテレビと朝ごはんと新聞タイム。

というリビング専領。

まぁ元々引きこもりの私は、仕事から帰ったら自室に引きこもり。

休みの部屋は万年ふとんの上で寝たりおきたり。

60歳、70歳になってもただただ、この部屋に閉じこもっているのかなぁ

なんて悲しくなる事もしばしば。

義母からは、休みの日はゆっくり休んで、なんて言われても、

ただただ、布団に寝ているだけの日々。

でも、寝ているだけでは心の疲れが取れないのよね。

そして再度別居へ

リビング専領はいいとしても、ブログを書いたりするのに

引越しをした時に、写真撮影のためにテーブルを購入したのです。

普段は食事をしても構わないと言ってはあるけれど、

どんどんテーブルには、漬物の入った器とか調味料とか、

花とか、お菓子とかの荷物がたくさん置かれてしまうのです。

初めは撮影するたびに、移動してもらったりしていたけれど、

だんだん面倒になり、他の荷物が映らないように撮影する技を習得し。

私が少し移動するぐらいで対応していたのですが、

荷物はいっぱい。そして義理の妹が休みだと

アイロンをかける、パソコンをいじる。

ラーメンを食べる・・・

と荷物プラス、彼女で全く撮影スペースはなく。

テーブルを貸してもらえないかと、お願いすると。

居場所がないと言ったり、早くしてくれ。みたいな雰囲気を出したり。

それは居心地の悪い撮影時間となってしまうのでありました。

そして二人の荷物は増え、テーブル周りに段ボールに入ったお菓子や、

カップ麺など箱はどんどん増えテーブルの背景もモノでいつぱい。

そして最終的には、その日もテーブルを使わせて欲しいとお願いした事から、喧嘩となり口を聞かなくなってしまった義理の妹。

そし2019から2020年のお正月は別にやろうと、義理の妹から宣言されたのでありました。

それから約1年、無視されながら過ごした日々。

でも許せない彼女の一言で「もう彼女とは一緒に暮らせない。」

と義母に伝えたのであります。

でも、悲しいことにその時は義母は、義理の妹を全面的にかばったのです。

私は嫁なのに、と悲しく思い。

義理の妹だけなく、やっぱり義理の母とも住めないなと思いました。

この時の私の体重は39キロ。

前回の同居では69キロと太り、そして今回は39キロと、

なんと30キロの体重の増減になったのでした。

流石にこれはひどいね。私がストレスに弱いだけなんだろうか。

しかしパラダイスはなんと一日で終了を迎える

それから半月して、引越しを決めたらしい二人。

期日を指折り数えて耐える私。

水下痢は止まらず、胃は転げ回る、唸るほど痛みを感じるようになっていました。

このままでは、本当に死んでしまう。そんなことで引越し当日を迎え。

荷物は全ては運びきれてはいませんが、今日からは夫と二人。

(もちろん同居の最中も夫は、義母にも義理の妹にも意見をしてくれ、いつも私の見方でした。間違っている事は違うとも言われたけれど。)

ガランとした義母が使っていた和室の残されたベッドで手足を広げてゆっくりと眠り。

トイレ、台所、お風呂、リビングを自由に使える喜びを噛み締めて翌朝仕事へ井行った私へ夫から届いたメールには・・・

 

【母がアパートの階段から落ちて、両手首骨折。救急車で運ばれ、今検査中】

 

そうです。引越して翌々日に入院となったのです。

そして極め付けのメールが

退院したら、当分家で面倒を見よう。

という一言。

嫌だ!ありえない。とその時は思ったものの。

その姿を病院でみたら、涙が出てしまうし。

そして嫌だけれど、そうしないとと思うようにしてみたり。

いろいろ自分に言い聞かしたり、自問自答する日々を過ごしています。

頭も何針か塗ったりしているし、包帯に巻かれているし、

そして手首は、年齢的に手術をした方がいいとなり。

一月いえ、数ヶ月入院となりそうな感じです。

介護認定を受けたり、まら高額医療費の申請?をしたり。

そして、一度は移した住所を、再度我が家に戻したりとお役所に行ったり。

とバタバタする毎日ですが・・・

ブログのねた的にはいろいろ面白いかなと思うようにしています。

まだいろいろありそうですが、頑張りマッスル。

そして、ブログのこうしんやらが滞っていたのは、

20年以上使っていたWindowsから、マックへ変えた事から。

まだまだ使い方がいまいち分からず。

そして初めてのノートパソコン。

そして小さいので老眼にもきつい、

というわけでありました。

同居も、マックブックエアーも、そして体重を40キロから増やすぞー。

といろいろ始動していきます。

後、新しく24時間昼夜勤務のお弁当の記事をたくさん写真撮影しているので

それも始めたいと思いマス。

またよろしくお願いしまーす。

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